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トラウマティック銀幕 そして誰もいなくなった

うちの裏の前栽に〜すずめが三羽と〜まって〜♪
歌に合わせて殺人事件が起こるのは、‘悪魔の手毬唄’が強トラ映画。
でも、こんなのもあったなあ。十人の娘が旅に出た〜滝に打たれて一人目が死んだ〜♪

そして誰もいなくなった

小船の中に老若男女が8人。それぞれ面識はないが目的地は同じ。
孤島の屋敷の主人であるオーウェンが週末にみんなを招待したのだ。
だが、屋敷にいるのは使用人夫妻だけで、オーウェン夫妻の姿はない。
招待客たちは自己紹介し合う。オーウェンに雇われたばかりの秘書をはじめ、
医師、判事、探偵、将軍、老婦人、ロシア人のプリンス、探検家。
不思議なことに、それぞれみんなオーウェンとは会ったことはない。
主人不在のままディナーを終えて、余興にプリンスがピアノを弾きながら歌う。
10人のインディアンの歌。10人のインディアンが喉を詰まらせたり、
寝すごしたり、ひとり居残ったり、薪割りで自分を割ったり、ハチに刺されたり、
法曹界に入ったり、ニシンに飲まれたり、クマに抱かれたり、日焼けで焼け死んだり、
ひとり残されて寂しさのあまり自殺したりと、最後は誰もいなくなってしまう歌。
突然、オーウェンの声の録音が流れ、客と使用人夫婦合計十人全員の悪事を暴露。
婚約者や患者や無実の者や妻の愛人や、甥や通行人や原住民や雇い主を殺害。
否定する者、憤慨する者、不安がる者、いぶかる者、一笑にふす者…。
そんななか、不注意運転でふたりを轢き殺したと告白したプリンスは酒をあおると…。

いやはや、この映画の登場人物の設定はイギリス人以外ありえない。
自分の身に危険が迫ってるのに、まるでゲームを楽しんでいる様子だから。
連続殺人事件の陰惨さは全くなく、随所にクスリと笑えるユーモア感覚。
鍵穴から覗いているのを覗いているのを覗いているのを覗く四方覗きとか、
犯人がだれかわからないから、だれかと偶然ふたりきりになると相手を怖がるとか。
どんなふうに殺害したかってのは全く描かれない。死体も手とか足とか映すぐらい。
あくまで歌に合わせてひとりずつ減るのを楽しみ、トリックとか気にしない。
結局だれが犯人なんだろうって、最後はキュートな猫ちゃんを疑ってしまったぞ。
ルネ・クレール監督作品は実はこれが初めて。でも、これだけじゃわからんなあ。
今回のトラウマは使用人のウィリアム。犯人扱いに怒り、酒に酔ってディナーの給仕。
客が皿から料理を取ろうとしたら絶妙のタイミングではずす。わざと?