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トラウマティック銀幕 蟹工船

ブラックな企業で泣かされる名もなき弱き者たちは今も昔も変わらないまま。
だからか、この作品は最近でも松田龍平で再映画化されたらしい。
今回は古い方です。それもかなり古いです。

蟹工船

母船式蟹漁業が盛んなりし昭和初期の4月。函館のある港町の出港日の朝。
人買いの親方は心配顔だ。廓で最後の夜を過ごした男たちの集まりが遅いからだ。
「9月になったら、真っ先に会いにくるよ」と笑い(泣き)ながら船に乗る男。
行きたくないと母親にダダをこね、諭される病弱の少年。
肺病を病む中年男に、ガス爆発が嫌で夕張炭鉱から来た男、農民に工員。
メリヤス工場の元社長もいる。関東大震災で妻子も工場も全て失くした。
蟹工船で働く男や少年たちはみな食いつなぐため、貧窮家族を養うためにやってきた。
そして、妻子を捨てて愛人と逃げたものの、浮気した愛人を殺害して逃亡中の男。
船内で缶詰を作る工場主は松木と名乗るその男の正体を知り、スパイとして使う。
現場監督はみんなから「偉い船に乗ったもんだ」と恐れられる浅川だ。
暴風警報でも、仲間の船が遭難し救助を求めてきても、ロシアの領海侵犯をしても、
何があろうと蟹缶の製造は絶対にとめない。実はこれには裏があった。
本国の会社に送る分とは別に、蟹缶を工場長たちとともに横流ししていたのだ。
そうとは知らない会社側は業績が悪いと打電してくる。浅川は労働者たちを酷使する。
過酷な労働で倒れる労働者に繰り出される鞭や拳。事故死や病死もお構いなし。
監督と労働者の板挟みで悩む松木は親しい文学青年に殺人の罪を告白して入水自殺。
監督たちの秘密を握ってゆすっていたイタチの平太は工場長のリンチで殺される。
松木の死のショックから寝ついた文学青年は衰弱死。作業中断も葬式もなし。
暴風が吹き荒れるなか、蟹漁の小型船を無理やり出せと言う監督に労働者たちは…、

この結末はデジャヴか?‘戦艦ポチョムキン’と重なる部分が大いにある。
監督や工場長たちにつきつけた労働者側の要求はあまりにも慎ましいものだった。
交代勤務制に、ちょっとだけいい食事に、がんばって働くから鉄拳制裁はやめて等々。
決して多くを望んでいないのに、あまりにも理不尽な返り討ちとなる結末。
‘戦艦〜’では蛆のわく肉の食事で水兵たちが蜂起。こちらも非人間的仕打ちだ。
権力や暴力に泣かされるのはいつも名もない貧しいものたち。弱者のグローバル化
松木役の山村聰は監督業にほぼ専念して、ドキュメントっぽい群像劇を見事に演出。
山村とメインにクレジットされていた森雅之はどこ?あまりの別人ぶりでちょい出。
かわって大映画では脇役にまわる渋くて個性的な俳優たちが水を得たように活躍。
蟹工船でもポチョムキン号でも映画界でも、弱者たちよ、勇気を持って立ち上がれ!
今回のトラウマは船での粗末な食事。たぶん粟かヒエご飯とメザシとタクワン。
みんな美味しそうに食べる。もっと貧しい食事に慣れてたのね(涙)。