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トラウマティック銀幕 静かなる一頁

イッセー尾形昭和天皇を演じた‘太陽’を観て以来、
ちょっとほったらかしだったアレクサンドル・ソクーロフ監督のものを。
なんでほったらかしにしていたのかが、なんとなくわかったような…。

<静かなる一頁>

水に浮かぶまるで巨大艦船のような街。中は廃墟と迷路のようだ。
街ではある噂が囁かれている。老婆が殺された。犯人は逃亡中だ。
そこへ痩せさばらえた若者が通りかかる。噂話に不自然な反応を見せる。
不審に思った男が問い詰める。「おまえはスパイか?」
あわてて否定しながら、「老婆のところへは行ったけど、金は取らなかった」
殺しには触れない若者を怪しんで街の男たちは殴りつけるが、警察には通報しない。
また、若者があてもなく街をうろついていると、娼婦がたむろする酒場にたどりつく。
下卑た笑いの娼婦たちとやり手婆たち。突然、そのひとりが遥か下の水に飛び込む。
つられるように男女が飛び込む。若者は覗きこむと、水面下に石造りの街並みがある。
そこで悪夢から目覚めた若者の部屋を若い女性が訪ねる。「父の葬儀に出てください」
若者の目の前で馬の下敷きで死んだ少女の父親。目撃者として住所を教えていた。
少女は貧しい家族を救うために娼婦になっていた。果敢なげで美しい声の持ち主だ。
若者は亡父の遺品の引き取り手続きをしようとするが、字が汚いとか品数が多いとか、
役人に難癖をつけられる。激怒する若者に「殺された老婆から君を救いたいんだがな」
その場から逃げて少女の部屋に。「もし、僕が殺人犯だったら、どうすればいい?」
神に救いを求め自首するよう言われ、若者は歪んだ笑み。「神などいないよ」
「私たちは神に生かされてます」「奴らは金を取らなかった僕を笑うだけさ」
神の存在を信じきる少女に「君は小さく貧乏すぎるから、神に気づいてもらえない」

終末戦争で地上の街は水没、生存者たちの末裔が住む巨大な艦船廃墟都市が舞台。
ドストエフスキーの‘罪と罰’的物語がくりひろげられんだろうけど、う〜ん…。
必要最低限のセリフのみだから、まず‘罪と罰’の概要を知らないとつらい。
水と廃墟で類似性はあるが、主人公に自己投影できるタルコフスキー映画に対し、
‘太陽’もそうだったがソクーロフ映画は主人公からは乖離してしまって、
奇妙でどこか別次元の出来事を、不協和で共鳴できないまま観ているって感じ。
感情を排したクールと言えばクールな描き方。とはいうものの、たぶん嫌いではない。
もう少し本数が必要かも。それにタルコフスキー映画同様、繰り返し観る必要あり。
それだけの価値がこの映像美にはある!カラーの脱色、長回し、合成などなど。
それに静寂だからこそ聴こえる遠い物音、遠い話し声、遠い笑い声、遠い音楽。
今回のトラウマは少女が食べていた具だくさんスープ。ロシアだけにボルシチかな?
ああ可哀そうに、サワークリームを入れてないみたい。やっぱり貧しいんだなあ(涙)。