guracolo docolo

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トラウマティック銀幕 クィーン

エリザベス女王の在位60周年でイギリスは盛り上がったが、
guracoloがいた45周年頃の英国王室はほんとに不人気だった。
というより、存亡の危機を迎えていた。王室なんかやめちまえ!だったのだ。

<クィーン>

1997年5月、総選挙で圧勝した労働党党首ブレアはバッキンガム宮殿へ向かった。
エリザベス女王から首相として承認を得る。侍従長から細かく作法を指示されて入室。
緊張する新リーダーに女王は言う。「あなたはわたしが承認する10人目の首相よ」
ふたりきりでの承認の儀式後、入室したブレア夫人はリベラル層出身でお辞儀が浅い。
カチンとくる女王。そこへ秘書官がやって来て、ブレア夫妻はすぐに退室させられる。
夫人は言う。「どうせまたダイアナが何かを仕出かしたんでしょ」
1997年8月30日午前5時。スコットランドで休暇を過ごす女王一家に急報。
パリでパパラッチに追われたダイアナたちが乗る車が事故。ダイアナは病院で死亡。
パリに行くと言うチャールズに、国費を使うと批判されるから民間機で行けと女王。
電話でブレア首相から声明を出さないかと問われて、女王は「これは国事ではない」。
ダイアナの死は私事で、ロンドンには戻らずこのまま孫をマスコミから守ると言う。
「国民に対しては?」半旗を掲げない、声明を出さない王室にブレアはいらつく。
ブレアの「彼女はみんなのプリンセスでした」の首相声明は人々の涙を誘う。
パリから遺体とともに帰国したチャールズはブレア首相に国葬にしたいと打ち明ける。
実家スペンサー家の密葬とするのが王室の意向だが、パリ市民の弔意の深さを目撃し、
チャールズは実感した。ただでさえ不人気の王室が何もしないと国民は暴発する。
エディンバラ公は国民はやがて鎮まる、皇太后は世論に屈してはならないと主張。
王室への批判が高まり、ブレアに電話でロンドンへ戻るように諭された女王は…。

パパラッチに最期まで追いまわされたダイアナだったけど、実はマスコミをうまく利用。
おバカさんだったけど、したたかだった。それに泣かされたのが不器用な王室だった。
マスコミ受けの良しあしで世間の評価が決まるのは、怖いけどそれが現実。いやはや。
映画の中でチャールズは自分は銃で撃たれるんじゃないかって戦々恐々としていたが、
当時、チャールズは思いっきり嫌われていたから杞憂じゃない。もしかしてありうる話。
チャールズはカミラと不倫して離婚、弟アンドルーは淫乱妻ファーギーと離婚、
妹アン王女も離婚、叔母のマーガレット王女は奔放、母の女王は大富豪で税金免除…。
それにひきかえプリンセス・ダイアナ。慈善活動、地雷除去活動、エイズ撲滅活動…。
でも、ダイアナを熟知していた王室はマユツバ視。チャールズは母としては評価したが。
大嫌いなダイアナの死で人気回復できた王室はちょっとはダイアナを見直したかも。
当時の新聞記事やニュース映像を巧みに使うスティーヴン・フリアーズの演出、
マイケル・シーンのブレアやチャールズ、エディンバラ公のそっくりさんぶりも見事だが、
ヘレン・ミレンはただの物真似芸ではない私心を持てず苦悩する崇高な君主を創出!
今回のトラウマは荒っぽい運転のエリザベス女王。何台のレンジローバーが川に沈む?