guracolo docolo

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トラウマティック銀幕 アーティスト

映画の原点に戻ったような最近のサイレント映画
情報過多の現代において、言葉に頼らない表現を模索するのが流行りなのか、
最近けっこうこの手の映画が増えてきているような気がするなあ。

<アーティスト>

1927年、オーケストラの演奏とともに映画が上映されている。
満員の観客が驚き、爆笑しながら見入るのは覆面紳士と愛犬の活劇映画。
上映後にカーテンコール。大スター・ジョージ・ヴァレンティンへの拍手がやまない。
劇場外でも群衆に取り囲まれる。とつぜん若い女性がファンに押されてジョージと衝突。
騒然となるがジョージと女性の機転でうまくおさまり、ふたりで親しげに写真撮影。
翌日の新聞のフロントページの見出しはどれも「WHO’S THAT GIRL?」
彼女、ペピー・ミラーはキノグラフ映画社のオーディションで踊り子として採用される。
撮影所での再会に驚いたジョージは主演映画で彼女に役を与えるが、NG連発。
ジョージは妻帯者だが彼女に魅かれていたのだ。面と向かってうまくセリフが出ない。
だが、彼への愛情を隠そうとしないペピーに、あるアドバイスを残すだけにしておく。
「女優を目指すなら目立つ特徴がないとだめだ」ペピーの口もとに小さくホクロを描く。
ペピーは次第に大きな役につくようになる。踊り子、メイド、女性野球選手、恋人。
1929年、キノグラフ社サイレント映画の製作中止を決定。トーキーだけに絞る。
ジョージは激しく抵抗。「ぼくのファンは声を求めないよ」自ら映画を作ると宣言。
会社はニューフェイスとしてペピー・ミラーを抜擢。ふたりの映画公開日が重なる。

‘雨に歌えば’、‘スター誕生’、‘42nd Street’のストーリーをまぜこぜにして、
そこに芸達者なジャックラッセルを加え、歌は無しで踊りは最後までとっておく。
サイレントからトーキーへの変遷を描くのに、作品自体を無声から有声にするのが憎い。
ジャン・デュジャルダンはジャック・ヴァレンティンをD・フェアバンクスばりに好演。
ペピーのベレニス・ベジョは若いツバメをTOYSと呼んで引きつれたりする。
野心満々でハスッパだけど一途なところもある。ようわからんのが男性はいいんかなあ。
ふたりのダンスはすごい。出し惜しみするのはもったいない。長くやるとボロが出る?
今回のトラウマは、なんでこんな役で出ている怪優マルコム・マクドゥエル?
オーディションで知り合いペピーの執事に。セリフは一言(無声)。もったいない。