guracolo docolo

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トラウマティック銀幕 鏡

確かに観たんだよなあ。記憶に残るシーンは多少あるんだけど、
肝心なストーリーはさっぱり覚えていない!ってのがトラウマでした…。

<鏡>

父はだいぶ前から家に帰って来ない。家の納屋が火事になってからだ。
母は幼い私と妹を育てながら、日がな一日帰らない夫を悲しげに待つ。
ごくたまに訪問者が道を尋ねて来て、母を口説こうとしたりする。
男は町医者だと言う。母は夫がいると言うとすごすごと来た道を戻って行く。
わたしが片思いするのは年上の赤毛の娘。でも、担任も彼女に夢中だ。
学校では軍事教練が始まり、両親を戦争で失った同級生は担任に反抗する。
戦争が激化し、食べ物に困った母はわたしを連れて近隣の家に向かい、
宝石を売ろうとするが途中で気が変わって、逃げるようにその家を後にする。
戦争が終わって、父が家に戻るが家にいつかない。母は印刷工場で働きだす。
ある朝、母は校正漏れがあったとあわてて工場に出勤する。手遅れで印刷済みだ。
必死で印刷物を確認する母。別に間違いはなく、から騒ぎに終わる。
同僚のリーザに母は「とんでもない言葉をそのまま印刷に出した夢を見た」と言う。
怒ったリーザは母に「あなたはとんでもない我儘だから、夫に出て行かれたのよ」
成長したわたしは執拗に束縛する母を責め立て、家を出てからは母とは会っていない。
今のわたしは妻と離婚。息子を引き取りたいが、元妻にも息子本人からも拒否される。
そして、風邪で寝込んで昔の母の姿を夢にみていたわたしに母からの電話が。
「リーザが死んだの。印刷工場で一緒に働いていた友達が…」

たぶん整理するとこうなるんだろうけど、実際は時系列がめちゃくちゃになっている。
母と妻の役を同じ女優、少年の頃のわたしとわたしの息子を同じ子役が演じるから、
さらにこんがらがってしまい、前回観た時はわけのわからないまま終わってしまった。
今回もこれは誰?とか、これは何?とかいうシーンがあって、相変わらずモヤモヤ。
映画の最後の方が悲しい。ロマンスが始まったばかりの頃の父と母。
草むらに横たわって父は母に聞く。「子供ができたらどっちがいい?息子?娘?」
その背後の草原を老婆が幼い男の子と女の子を連れて散歩している。
その姿を眺めながら若い母は涙ぐむ。未来の自分の姿に思いを馳せるように。
この作品も壁を滴り落ちる水、燃える木、空中浮遊する人などタルコフスキー度満点。
今回のトラウマは冒頭部分。吃音患者に暗示を与えると正常に話し出す。
あの患者はホントに吃音が治ったのか?一時的なものなのか?気になるなあ。