guracolo docolo

摩訶不思議な guracolo ワールドへようこそ!

トラウマティック銀幕 青幻記 遠い日の母は美しく

先週は父ものだったので、今週は母ものってことで。
でも、日本のトラ銀女優の筆頭格の賀来敦子が母親役だからなあ。
大島渚作品の‘儀式’で発揮した強トラぶりを凌駕するひとはいまだ現れていない。

<青幻記 遠い日の母は美しく>

本土からの客を乗せた船が沖永良部島の浜に着いた。
そのなかに母と子。さわと小学生の息子のみのるがいる。
さわは胸を病んでおり、浜から故郷の村までの5時間の道のりが辛そうだ。
途中、村人の牛車に乗せてもらったりして、なんとか実家に辿り着く。
17歳で鹿児島に嫁いでみのるをもうけたが、肺病の夫と死別。
みのるは跡取りだからと取り上げられ、離縁されて一度島に帰るが、
我が子をのことが諦めきれず、再び鹿児島に渡り、そこで船乗りの平井と再婚。
前夫の父が許さず、みのるを引き取れないまま平井にも捨てられ、病を得る。
傷心のまま故郷に帰る前に、ひと目みのるに会うつもりがそのまま一緒に船に乗る。
だが、街育ちのみのるは食べ物や言葉になじめず、学校ではいじめられる。
母になぐさめてもらおうと走り寄るみのるを、さわはそばに近寄らせない。
「お母さんは病気だから、みのるさんを抱いてあげられないのです」
36年後、東京で成長したみのるは鹿児島で父の墓参りをし、沖永良部島に渡る。
草深い廃墟で、闘病する母と自分を思い出して涙していると、話しかける者がいる。
西屋敷のカクテイじじいと名乗るその老人は自宅にみのるを招き、昔語りをする。
さわに惚れていた老人は、みのるに初七日の‘ユタの晩’を覚えているかと問う。
母の死を理解できずにいるみのるのために、ユタが母と交霊した。
みのるは母の最期を思い出す。二人は磯で魚をとっていた。満潮になるのも忘れて。

「みのるさん、お母さんって言って」「お母さん!」「もう一度」「お母さん!」
昭和初期では結核はまだ死病だった。感染しないよう、時には息子を厳しく突き放す。
それが最後に溢れる愛情を示す。ああ、我が子を抱きしめたかったんだろなあ。
村一番の美貌で優れた踊り手であったさわ。二度の結婚に破れて病で帰郷しても、
誇りだけは失わない。最近やたら使われてて嫌なんだけど、彼女こそ凛とした女性だ。
本作は73年度製作。驚異の映像美で、監督と撮影は成島東一郎。音楽は武満徹
成長したみのる役の田村高廣。大島映画の常連俳優が脇役でアクが強いひとだらけ。
で、今回のトラウマは、夫と死別して帰島したさわに言い(歌い)寄るカクテイ。
若い頃も演じるのは藤原鎌足のまま。いくらなんでも老け過ぎ!